よろず帳

旅と銭湯、その他思いついたこと色々。

徒然草の育て方

かれこれ3ヶ月近く放置していたのですが、今日ふと久々にブログを書こうと思い立ちました。

 

一日のするべき事は終えた。BGMの音量調節も良し。さて、いざ書き始めようとパソコンの前に座ったのですが、どうしたことか書きたいことが全然浮かんでこない。

(自分の哲学を世間に訴えられるほどの強度は持っていないし、最近特に話題にするような出来事もなければ、イベントの感想はもう時期を逃している…。)

すっかり固まってしまいました。

 

そこで浮かんだのが徒然草の一文

「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」

現代語訳を検索して来ました。

「特にやることもないままに、一日中硯にむかって、心に浮かんでは消えていく何ということも無いことを、なんとなく書き付けると、あやしくも狂おしい感じだ。」

 

—いや適当に思ったこと書いて文章が成り立つわけ無いだろ!

うわーあんなこと言ってるけど、兼好法師絶対考えてから書いてるわー。

と、謎の怒りを覚えたところで気付きます。

 

考えずに文章が書ける訳ないんですよね。

 

「当たり前やろ」って思われるかもしれませんが、当たり前なんです。

私が30分パソコンの前で何も書けないのに、あの人は何万アクセスもされるようなブログを30分で書けるのは、私の日々が平凡で、あの人だけスパイスの効いた毎日を送っているからではないでしょう。

共感を誘い、感動を与え、共有させる伝え方を"日々考え続けている"からだと思うのです。

 

"考える人たち"は常に周りを観察していて、平凡な体験の中に人々に伝えられるメッセージを見出します。

写真家が素晴らしいのは、単に技術が優れているからでも高価なカメラを持っているからでもなく、風景の中に誰も気付かなかった美しさを見つけ出す事が出来るからです。

 

素晴らしいものを作り上げた人に「大変だったでしょ、どうやって作ったの?」と聴くと

「そんな事ないよ。何となく、適当に。」

なんて返される事がありますが、この言葉をそのまま受け取っても参考にはなりません。

彼等は日々考え続け、極上の素材を日常から見つけ出すからこそ、あとは『何となく、適当に』出来るのです。

 

何をすべきかはお分かりですよね?

 

 

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さて、徒然と書いてきましたが最近TEDをよく見ているのが分かりましたでしょうか。

いつかあんな舞台に立って、思う事を発表してみたいものです。

そのためにはたくさん考えなければいけないのですが。